『ジョーカー』あらすじ・ネタバレ感想!この映画を否定する恐怖を忘れずにいたい

『ジョーカー』評価★3.8(5点満点)

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話題作『ジョーカー』早速見てきました!ヴェネチア国際映画祭で、アメコミ原作の映画として初めて最高賞を獲得したことも記憶に新しいでしょう。

そんな『ジョーカー』ですが、前評判通り色んな意味でとんでもない映画でした。

衝撃度でいえば、2019年度のトップです。

『ジョーカー』のあらすじやネタバレ含みで感想をまとめていこうと思います。

『ジョーカー』あらすじ

www.youtube.com

 

DCコミック「バットマン」シリーズのヴィランとして絶大な人気を誇るジョーカーの誕生譚。悪のカリスマと名高い彼は、何故ジョーカーとなったのか。

 

舞台は財政難に苦しみ荒れ果てたゴッサムシティ。「人々を笑顔にさせること」が何よりの生きがいである大道芸人のアーサー・フレックは、いつかスタンダップコメディアンになることを夢見つつ、母ペニーの介護をする日々を送っている。

 

アーサーは脳に欠損があり、突然笑い出してしまうという病気を抱えていた。そしてその病気のせいで人に虐げられ、人間関係も仕事もうまくいかなくなる。

やがてアーサーは仕事でトラブルを起こしクビになり、さらに市の財政難により持病の福祉を打ち切られ、貧困も病状もさらに悪化。

 

そして、母が度々口にするトーマス・ウェインとの関係について調べていくうちに、衝撃の事実を発見する。何もかも失ったアーサーの心は徐々に狂気をおびていく…。

 

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ジョーカーはDCコミックのキャラクターですが、この映画は完璧オリジナルストーリーです。何かの映画と繋がっている訳でもなく、何ならバットマンは出てこないし、ヒーローさえ出てきません。なので、この映画だけ見ても問題ありません。


ただし、前知識としてトーマス・ウェインは誰かくらいは知っておくといいです。

トーマス・ウェインは、バットマンの父親です。息子であるブルース・ウェイン(のちのバットマン)は、まだ幼い少年の姿で登場します。

 

トーマス・ウェインは超金持ちのやり手社長で、今作では市議会議員になり、財政改革として社会保障をカットする政策を打ち出します。これがアーサーを苦しめる要因となるわけです。

この2人の関係性を知っておくと、ラストのトーマス・ウェインの場面が何を意味するのか、じっくり考えたくなります。

『ジョーカー』監督・キャスト

監督トッド・フィリップス

ハングオーバー』の監督というと、ピンとくる人も多そうですね。全く毛色の違う作品ですが…どんな化学変化が起きたらこんな作品作り出せるんだろ(笑)

 

キャスト
アーサー・フレック (ジョーカー)… ホアキン・フェニックス

マレー・フランクリン… ロバート・デ・ニーロ

ソフィー・デュモンド… ザジー・ビーツ

ペニー・フレック…フランセス・コンロイ

 

ジョーカーと言えば、今まで名だたる名優が演じてきた悪役ですが、今回抜擢されたのは演技派ホアンキン。

オファーを受けているのにわざわざオーディションに参加し、この役の為にアバラ骨が浮き出るほど減量しています。それだけこの役にかける思いが強い証拠ですね。

 

アーサーが憧れるコメディアンとして、ロバート・デ・ニーロまで出演。豪華な顔ぶれがそろった映画です。

あとソフィー役の人、「デットプール2」のドミノ役の人ですね!全然違う役なので気が付きませんでした!アーサーに嫌悪と恐怖に満ちた目を向けるシーンがとても良かったですね。

『ジョーカー』ネタバレ感想

善悪を根本から揺るがす、とんでもない映画

まず、R15なのも納得の映画でした。子どもは絶対見せちゃダメ。アメリカでは厳重警戒で上映しているようです。それだけ危険な映画と認定されています。

www.gizmodo.jp

 

今作は『アクアマン』や『ジャスティス・リーグ』といったDCユニバースとはまったく無関係だし、アクションシーンも正義のヒーローもいない。ただただ暗いし、一切救いのない鬱展開です。

 

ざっくりとネタバレしちゃいますと、アーサーが闇に堕ちていくきっかけになった出来事は3つあります。

 

まず一つ目が仕事をクビにされたこと、

2つ目が自身の病気の社会保障が打ち切られたこと、

最後はずっと看病していた母親が、自分の病気の原因をつくったと判明したことです。

 

実はアーサーの母親は精神障害で入院していた過去があったのです。

そして彼女の夫が幼いアーサーを虐待し、その時の怪我が原因でアーサーは脳に障害を負うようになったという事実を知ります。

しかも、トーマス・ウェインは実の父ではなく養子

「トーマス・ウェインさんは私たちを救ってくれる。だって、あなたはトーマスさんの実子なの。私がトーマスさんのところで働いていたときに、愛人として結ばれたのよ」というのは、全て母親の妄想だったのです。

 

彼はこの病気のせいで、周りからも気味悪がられ仕事もまともに出来ないのに、その原因がまさか母親の恋人にあったとは…。なんつー鬱展開だよ……。

この秘密が解明するシーンは、見ている私自身もまともに呼吸が出来ないほど絶望的な場面でした。

しかし、ある一面から見れば彼女も被害者の一人ですよね。社会のセーフティーネットがしっかりあれば、彼女もアーサーを守れたかもしれないし。

 

そして、とうとう地下鉄で証券マンにボコボコニされて発砲してしまったことで、アーサーは悪の道へと踏み入れていきます。

 

アーサーがここまで堕ちたのは貧困だけでなく、誰にも愛されていないという孤独も要因です。もし、せめて愛情が少しでも残っていれば、彼はジョーカーになることは無かったかもしれない。ソフィーとの逢い引きが本当だったら、彼は何とか生きていたのかな。


あとは、職場の人たちが少しはアーサーを気に掛けるとか(飲みに行くとかさ)、あのバスの母親が笑ってあげるとか、福祉施設の人がもう少し献身的になるとか…。

 

でも、こういう「if」を色々探すけど、本当に必要だったのは社会的な保護でしょう。

今の日本だって同じで、誰かを助けてあげられるほど余裕のある人が少ないのだ。私も含めて、正直自分のことで精いっぱいだ。

 

社会保障もどんどん縮小し、ましてや消費税もあがり、生活はどんどん苦しくなる。

そして、この苦しみは今後より激しさを増していくのを国民はみんな分かっている。明るい将来など来ないと分かりながら毎日を過ごしている。地獄かよ。

 

 

そんな中で人にやさしくすることが出来るのだろうか。

明日の自分さえ分からないのに、誰かに手を差し伸べられるのだろうか。

 

お国のお偉いさんからすれば「生活は苦しいけど、みんなで助け合って頑張ってね!私たちは知らんけど!」で済む話なのかもしれない。

 

でも、これは国民が頑張ってどうこうなる問題ではないですよ。国でセーフティーを作らないと、どんどん堕ちていくし、誰かを蹴落としてでも生きていくしかない。『蜘蛛の糸』みたいに。

金もなければ愛もない、失うものもない。

そういう人が日本でもどんどん増えていくのではないでしょうか。

その人々の上で笑うのは、汚い手を使ってでも利益を貪り尽くす富裕層。

そう遠くない未来に、こういう日本が訪れるのかな。むしろ来ているのかな。

ジョーカーは誰でもなりうる

この映画を見て「いや~凄い映画だったわ」みたいな感想で留まるならいいですよ。

私も「とんでもねぇ映画見ちまったな」と、ジョーカーの狂気に呆然とするだけ。それは多分「私はジョーカーにはなれない」という思いがあるからだと思います。

 

私は両親にも愛されていると思うし、将来を共にしたいと思える人もいる。

少ないですが友人もいるし、安月給だが一応働いていて、そこまで不自由がない。

傍から見れば”それなり”かもしれないが、私にとっては手に余るほど幸せを感じている。

 

でも、何か一つでも狂ったら…?と考えるとゾッとする時がある。

もしかしたら私だって虐待をする両親のもとで生まれたかもしれない。愛する人からDVを受けたかもしれない。私はたまたま”普通の幸せ”をどうにか手に入れただけなのだ。

この普通の幸せを掴めない人もいるし、私だっていつの間にか転落するかもしれない。なにがきっかけになるかは分からないが、私だってジョーカーになるかもしれない。


実は、私の身内には生まれつき病気を抱えている者がいます。治る見込みもないし、これ以上改善することもない病気です。今は障害者年金をもらっていますが、これが打ち切られたら私たち家族は相当苦しくなります。

でも、今後もし打ち切られたら…?と思うとゾッとするし、アーサーのように貧困に苦しむ状態になるかもしれません。

そしたら私も彼のように…そう思うと心臓がバクバクして、苦しくなります。

 

老老介護や介護離職なども問題となっていますが、こういう小さなはずみで人は簡単に絶望へと堕ちていくのです。(下の記事は是非ご参考に読んでみてください。日本でも貧困は起きています。)

toyokeizai.net

 

誰だってジョーカーになりうる種を持ち合わせているはずです。

その種に気づいていないのか、はたまた気づかないフリをしているだけ。

誰もがジョーカーになりうる。そういう時代が、どの国でも来ているでしょうか。

この映画を肯定することはできない

全てにおいて圧倒的だし、素晴らしい、とんでもない映画だとは思うんです。

でも、私はどうしてもこの映画を絶賛する気になれない…。

 

きっと今作は歴史に名を残す映画になるでしょう。

でも、やっぱりアーサーの行動を認められない自分が確かにいるんです。彼の行いをやっぱり肯定できないのです。

 

それは勿論、私が平和なぬるま湯の世界でぬくぬくと生きているからなのでしょう。

しかし、そんな私でも上記でも書いたように、何かのはずみでジョーカーになりうる危険性はいくらでもあります。

 

だから怖いし、否定したくなる。私は”まだ”ジョーカーではない、と。

 

もちろん映画製作スタッフも「この映画は暴力を誘発するものでもないし、ましてやジョーカーを称賛してもいない」と明言しています。

rollingstonejapan.com


果たして彼らの物語をどう見るのかは、観客一人一人にゆだねられています。

私は平和ボケと言われてもいいので、この映画を否定し、ジョーカーを恐れる心を持っていたいです。

 

正直、感想をまとめてはみたものの、私はこの映画を見て何を考えたらいいのか、何をすべきなのかも未だに分からない。

ただただいつか来るジョーカーの恐怖を抱えながら、毎日をどうにか生きるしかないのかな。

 

これだけ鑑賞後に困惑してしまう映画は今年初です。

自分の中の善悪がグチャグチャに引っ掻き回されて、すこぶる気分が悪い。

2019年、新しいジョーカーが生まれるべくして生まれた、そう言える作品となったのではないでしょうか。